リモート社会と医療
2020年7月30日

新型コロナウイルス感染症のパンデミックの影響は、すでに日常として受け入れなければならない状態となってきている。
「アフターコロナ」「ポストコロナ」といった言葉で、今後の急激な生活様式の変化や予測される未来像についての議論が始まっている。

現時点では、「ウィズコロナ」(新型コロナウイルスとの共生)という表現が現場感覚としてはしっくりくるが、このウイルスとの共生という状態が、その治療法が確立し、ワクチンが全世界に行き渡るまで続くことになりそうだ。
この「ウィズコロナ」という考え方によって、人と人、人と空間、人と働き方など、様々な場面で暮らし方の質が変容してきている。

リモート社会という表現もその一つであり、非接触型社会と訳されている。
実際、密閉・密集・密接の所謂「三密」を避ける生活の受容により、テレワーク・在宅勤務が一気に進んでいるようだ。
医療界にもその波が押し寄せており、オンライン診療と称するシステムが、タガが外れたように拡大している。
注意しなければならないのは、提供する医療機能の違いによって評価は様々、ということである。
当院のような急性期病院においては、かなり限られた患者さんには有用であろうが、基本的には初診を含めた大部分の患者さんには慎重に導入するべきである、と考えている。

さて、非接触を基本とするリモート社会と医療は、果たして馴染むのであろうか? 私は正直違和感を覚えているし、さらに言えば非接触と医療は相容れないのではないか、と考えている。近代ホスピスの母とも言われているシシリー・ソンダース先生の言葉に、「Not doing, but being.」:「何をすることではなく、そばにいること」や 「Just being there.」:「ただそこにいること」がある。
前事業管理者の松野正紀先生も医療における「being」の重要性を説いていたのは、皆さんご承知の通りである。
やはり、医療の原点は患者さんと「共に在ること」に尽きると思う。

一方、患者さんやご家族の立場になると、終末期であるのに面会制限のために親の最期の場に立ち会えず直接看取れなかった、とのご意見もある。
この状況をある緩和ケア医が、「緩和ケアの自殺」と表現していた。ショッキングな物言いではあるが、分からないでもない。
また、残された貴重な時間を「共に在りたい」という家族側の理由で、面会制限のある緩和ケア病棟を退院する患者さんがいるとのことである。
思わぬ形で在宅診療が受け入れられ、拡がっているようだ。
本来の流れによる在宅診療の普及とは、あまりにもかけ離れていると言わざるを得ない。

思いつくままに書き綴ってしまったが、このウイルスは生活様式に影響を及ぼすだけではなく、医療体制そのものに対しても挑戦状を突き付けている。
我々は「being」と「感染防護」のバランスという辛い葛藤を経験しており、尚更負けるわけにはいかない。
第二波を前にして、この挑戦に対して真正面から立ち向かう強い覚悟を全職員で共有し、より充実した感染対策を実行しながら、地域医療を守り抜かなければならないと思う。